ヒトゲノム計画の記事一覧


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染色体上の遺伝子の位置関係を示す地図

 

 ヒトゲノム計画の理解には、遺伝地図と物理地図についておおまかな知識が欠かせません。まず遺伝地図について、簡単に解説しておきましょう。

 

 減数分裂でキアズマが生じることは『遺伝とはなにか』で説明しました。染色体は、いわば切り貼りされた状態で次の世代に伝わります。この切り貼りが、キアズマです。

 

 2種の遺伝子について、それぞれの対立遺伝子(A,aおよびB,b)に注目して、親から子への伝わり方を考えてみましょう。DNA多型でも同じことです。まず、2種の遺伝子(DNA多型)が別々の染色体に乗っている、としましょう。別々の染色体に乗っているので、Aを受けとった子がBを受け取るのかbを受けるかは、半々のチャンスです。aの子についても同じです。

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 AとBが同じ染色体上に乗っていれば、AとBが一緒に伝わることが期待されます。AとBは「連鎖」しているのです。ところが、同じ染色体にAとBが乗っているのに、Aとb(またはaとB)の組み合わせが子に伝わることがあるのです。AとBの間でキアズマが生じ、染色体の一部が入れ替わってしまったのです。

 

 キアズマができる確率は、AとBの遺伝的な距離に比例します。遺伝的な距離はセンチモルガン(cM)という単位で表し、10cMはキアズマの発生率は10%、20cMは20%という単純な関係です。距離が長くなると間のキアズマが増え、間にキアズマが2つできると、両方の関係がもとのままなのか、キアズマが2つできたのか区別できなくなります。

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 というわけで、長い距離をカバーする地図をつくるためには、20cM、20cMなど短い距離を積み上げるのです。このようにcMを単位として、染色体やその一部の区間の遺伝子やDNA多型の位置関係を表したものが「遺伝地図」です。

 

DNAの長さと遺伝地図の距離

 

 DNAの長さと遺伝地図の距離の長さの関係はどうでしょう。おおまかにいえば、1cMはDNAの100万塩基対に相当しますが、正確に対応しているわけではありません。たとえば遺伝地図の距離は、女性が男性よりも長いのです(常染色体について)。卵子をつくる減数分裂では、キアズマが精子より多いのでしょう。

 

 また、染色体のうち動原体の近くは、同じDNAの長さに対して遺伝地図の距離が短く(キアズマができにくく)、それぞれの腕の末端あたりは遺伝地図の距離が長い(キアズマができやすい)のです。キアズマは、対の相手の染色分体と密着して互いに切断と融合が起きることで、腕の一部分を交換します。動原体の近く(各腕の根元)は動きが制限され、逆に腕の末端あたりは運動の自由度が大きいのでキアズマができやすいということで、直感的にも納得できるのではないでしょうか。

 

遺伝地図の距離は男女で違う

 

 『遺伝とはなにか』で紹介したように、1番から22番まdねお常染色体の全長に対して、50強のキアズマができます。キアズマ1つは50cM(減数分裂の際、4本の染色分体のうち2本(50%)の間で交換が生じる)ですから、2500cMになりそうですが、短い距離を積み上げて全長を計算すると、男性では1割ほどこれより長く、女性では3000cMを超えます。

 

 キアズマの観察には、新鮮な睾丸や卵巣が必要です。健康な若い男女から睾丸や卵巣を提供してもらうチャンスは、めったにありません。

 

 他方、前立腺癌の患者では男性ホルモンがガンの進行を促すので、睾丸の除去が行われました。上記の50強というデータは、それを使ってキアズマの観察を行った結果です。がんの好発年齢ですから、60歳とか70歳の人でしょう。キアズマは年齢とともに減るので、子をつくる年代の男性の睾丸を調べれば、キアズマは50よりも多いでしょう。女性ではキアズマがさらに多いと想像されます。

 性によってはキアズマの頻度に差があるのは、珍しいことではありません。ショウジョウバエでは、キアズマができるのは雌だけで、雄の減数分裂ではできないということです。


ヒトゲノム計画


メンデルの法則からDNAまで

 

 遺伝子研究の歴史をさかのぼれば、1865年のエンドウを使ったメンデルの法則の発見にたどりつきます。もっとも、メンデル(G.J.Mendel)の論文はまったく注目されず、1900年になって3人の研究者による“再発見”によって、ようやく日の目を見ましたが、まもなくギャロット(A.E.Garrod)により、ヒトのアルカプトン尿症が、メンデルの劣性遺伝の法則に従うことが明らかにされました。1920年代にはモルガン(T.H.Morgan)により、シュウジョウバエを使った遺伝子地図の作成も行われました。1930年代には、生化学レベルで爆発的な研究の発展がありました。1945年には、アカパンカビの研究から、ビードル(G.W.Beadle)により遺伝子一酵素説が提唱されています。

 

 1953年にはワトソン(D.J.Watson)とクリック(F.Crick)によるDNAの構造モデルの提案があり、遺伝子研究にとっての一大転機が訪れました。1965年には遺伝子暗号(コドン)が解明され、1972〜73年の組換えDNA技術の確立などにより、分子生物学の爆発的とも言える発展が起きました。ヘモグロビンなどタンパク質レベルの研究も進み、遺伝子の変化と病気の関係が明らかになりました。1985年には簡単に遺伝子を目で見ることができるPCRの技術も登場しました。この間に、大勢のノーベル賞の受賞者がでています。

 

DNAのコンティグとは?

 

 1980年代の前半には、電気泳動の技術でDNAの長さを測ることができるのは、2万塩基対(20kb)が限度でした。クローン化して増やせるDNAの長さも似たようなレベルでした。ウイルスや細菌のゲノムを扱うには十分ですが、30億塩基対に及ぶヒトゲノムを分析するのには不十分です。

 

 ゲノムの解明にあたっては、それぞれの染色体の全長をカバーするために、少しずつオーバーラップするように配列したDNAノクローンが必要です。形のうえで連続したDNAクローンの集合体を、コンティグと呼びます。

 

 しかし、最も短い21番や22番の染色体でも、全長は3500万塩基対ほどあります。5000や10000塩基対のクローンを並べて全長をカバーするひとつながりのコンティグをつくるのは、現実にはほとんど不可能です。

 

巨大なDNAの断片の扱い

 

 その後、100万塩基対レベルの長さのDNA断片を泳動できるパルスフィールドゲル電気泳動(PFGE)の技術ができ、また同レベルの大きさのDNAをクローン化できるベクターとして、酵母人工染色体(YAC)も開発されました。これなら単純にクローンの長さを計算すれば、35個で21番染色体の全長をカバーできるわけです。切れ目のないコンティグをつくるためには、全長の何倍かのDNAクローンを集める必要がありますが、10倍でも350個ですから、現実に可能なレベルです。

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 ちなみにPFGEは、通常の電気泳動では1方向に電圧をかけて泳動するのに対し、たとえば斜め右前方へ数分間、続いて左前方へ同じ時間、再び右前方へと、方向を切り替えながら長時間の泳動をすることで、巨大なDNAの長さの違いを検出する技術です。電圧をかける時間と方向は、コンピューターで制御します。

 

連鎖解析で病気の原因遺伝子を殺す

 

 また、多彩なDNA多型も見つかり、それを使って、病気の原因となっている遺伝子の場所を決める(マッピング)技術も開発されました。家系内を病気と同じ伝わり方をしているDNA多型がないか、片っ端から調べる“連鎖解析”です。病気と同じように伝わるということは、そのDNA多型と病気の原因遺伝子が同じ染色体に乗っているということです。このような関係を連鎖といいます。

 

 実際に、ベネズエラのハンチントン病の家系で、病気と同じ伝わり方をするDNA多型が見つかったのです。その結果、原因遺伝子が4番染色体の短腕にあることがわかりました。1983年のことです。これをきっかけに連鎖解析が盛んに行われ、ゲノム解析の有力な武器になりました。連鎖解析などによって、ある遺伝子の染色体上の位置を推定し、それを手掛かりとして遺伝子を探してクローン化する方法を、ポジショナルクローニングといいます。

 

なぜポジショナルクローニングか?

 

 従来、病気の原因遺伝子を解明するには、タンパク質の異常を見つけ、その情報に基づいて遺伝子をクローン化する方法が行われていました。

 

 ある程度の量の異常なタンパク質が得られる遺伝病については、原因遺伝子のクローン化がどんどん進みました。残ったのはタンパク質の量がきわめて少ないとか、不安定で壊れやすいもの、あるいはタンパク質の異常がわからないなどで、このアプローチが使えないものばかりです。

 

 そこで登場したのがポジショナルクローニングです。まず、連鎖解析などで病気の原因となる遺伝子の位置を推定し、その付近から遺伝子らしい構造を洗い出し、患者で異常が起きているのか否かを調べ、異常があれば原因遺伝子と推定するのです。遺伝子の位置の情報を手掛かりに、最後にタンパク質レベルの解析に進むので、従来の方法とは逆です。

 これらの情報によってヒトの遺伝子についての解析が大きく進みましたが、遺伝子の存在が確認または推定できたものは、1980年代には約3000種類、1985年に4000ほどでした。年に200ほどの遺伝子発見のペースですから、当時5万〜10万とされていたヒト遺伝子の全体像が明らかになるまでには、200年〜300年かかってしまします。ここれ一気にゲノム全体像を明らかにしよう、という運気が盛り上がったのです。


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