2015年9月の記事一覧


Sponsered Link

 「つくれる臓器とつくれない臓器」のページで、複数の細胞群からできている臓器(器官)は再生医療の恩恵にあずかることが難しい、さらに現時点で再生医療の対象になるのは比較的単一の種類から構成される臓器であろう、と書きましたが、その観点からしても毛髪再生は難題です。ただ、指のように数十種類からなる複雑な器官を完全に復元するほど困難ではありません。

 

 毛髪は、毛髪そのものになる毛包幹細胞と、毛髪に色をつける色素幹細胞という2つの細胞を再生させなければなりません。これら2つの細胞は、毛根の中にあるバルジと呼ばれる領域に存在します。そして、この2つの細胞はお互いに協力し合って毛という臓器をつくるのです。広島大学では、毛包幹細胞のみを使ってマウスの背中にヒトの毛を生やすことに成功しましたが、色素細胞は再生させていないので、白髪でうぶ毛のような毛髪しかできていません。一般に髪の再生といった場合に連想する、フサフサで力強い髪の毛とはかなり違うものです。髪の薄い男性の救世主となる代物ではありません。

毛包の構造

 蓬髪と同じように、2つないし3つの細胞が協力し合って初めて臓器として機能するものがあります。皮膚や血管です。皮膚は真皮と表皮からなり、真皮には真皮細胞があり、表皮には表皮細胞があります。真皮細胞は表皮細胞が安定してその部分で働ける環境を整える働きをもち、表皮は外界から真皮細胞を守る役割をします。そのどちらかが欠けても皮膚にはなりません。これらの働きを細胞間相互作用といいます。

 また血管も単純に血液を流すホースではありません。血液は必要な臓器に必要な量流れなければなりません。運動しているときには筋肉に、勉強しているときには脳にというように、ホースを拡張させたり縮小させたりする筋肉が必要不可欠です。すなわち血管自体が臓器として機能するためには、血管というホースをつくる血管内皮細胞と、ホースの内空を調節するための平滑筋細胞という2つの細胞が必要になるのです。この2つの細胞のおかげで血管は統制の取れた動きをして、血圧を調節したり、必要な臓器に優先的に血液を送り届けることができるのです。


細胞を用いる医療とその可能性


 『生命倫理と最新科学生命』では万能細胞(ES細胞やiPS細胞)を用いた再生医療の倫理的側面をお話しましたが、ここでは技術的側面にしぼってお話します。

 

 再生医療の可能性は無限ですが、まだまだ技術的に非常に多くの問題を抱えているのも事実です。その代表的な問題点を、ES細胞とiPS細胞に分けてお話していきましょう。

 

 まず受精卵から取りだした万能細胞であるES細胞のいちばん大きな問題点は、他人の遺伝子をもった細胞からつくられた臓器を患者さんに使うため、拒絶反応を含めた生体反応を考慮した治療にならざるを得ないということです。このため免疫抑制剤などを使用するケースが大多数を占めるでしょう。

 

 現在行われている臓器移植も、同じ問題を抱えています。この他人の臓器(細胞)という問題を解決するために、他人の胚細胞のDNAを取りだして自分のDNAと入れ替えたクローン胚の作製が行われてきました。クローン胚の研究の頂点は、ロスリン研究所で行われたクローン羊のドリーです。しかしその後、ES細胞に宿痾のようにつきまとう倫理的な問題と、iPS細胞の樹立により、クローン胚の研究は下火になっていきました。

Sponcsered Link

 

 自分の皮膚(真皮線維芽細胞)から作製したiPS細胞は自分のDNAをもつ自分自身の万能細胞のため、ES細胞のような非自己に起因する問題はありませんし、倫理問題もありません。しかし、iPS細胞は通常の皮膚細胞を初期化するために。ヤマナカファクター(山中因子)と呼ばれる4つの遺伝子が必要でした。その1つがc-Mycと呼ばれる発がん遺伝子だったのです。実際にiPS細胞を移植したマウス(キメラマウス)で3分の1にがんができたと、iPS細胞の生みの親の山中教授は報告しています。

ヤマナカファクター

 近年、同じく山中教授は発がん遺伝子であるc-Mycを使わないiPS細胞の樹立に成功していますが、そもそも、iPS細胞であろうと、ES細胞であろうと、万能細胞を生体の外部で増殖させ続けると、染色体変異、遺伝子異常が生じ、次第に蓄積していくことが明らかとなっています。

 こうした遺伝子異常の結果、c-Mycを使わないiPS細胞であっても、がん化する可能性が指摘されており、なお慎重な運用が求められています。


細胞を用いる医療とその可能性


 本ページでは万能細胞(胚性幹細胞や人工多能性幹細胞:iPS細胞)を用いた再生医療の具体的方法や創薬、新治療法、今後の見通し、夢などを述べてきました。iPS細胞が登場するまでヒト万能細胞は胚性幹細胞(ES細胞)のことであり、ES細胞は人間のもと(生命の萌芽)の受精卵を破壊して得られますから、ある意味、殺人です。なぜなら受精卵は、そのまま子宮に着床したら人間になるものだからです。そして「ある人を助けるために別の人を殺す」という考えも成り立ちます。この考えは2006年、当時の大統領であるブッシュ氏をして、生命の尊厳の観点からアメリカ連邦政府によるES細胞研究をストップさせる根拠となったのです。

 

 再生医療の倫理的な問題の本質は、「命の芽」を摘み取る殺人の可能性があるという理由ではありません。人工多能性幹細胞(iPS細胞、人工的につくられた万能細胞)は生命の萌芽を破壊する受精卵(胚細胞)の操作を行わないので「命の芽」を摘み取る可能性はまったくないにもかかわらず、医学的研究にも倫理的な問題はつきまとっています。いったいなぜでしょうか?  

 

 再生医療の本質とは、いわば神が決めた領域にわれわれ人類が干渉する行為だからです。男には卵子をつくれない、男だけでは子孫を残せない、あたり前です。切断した腕はもとどおりにならない、当然でした。いままでにも倫理的なクライシスや論争は、再生医療以外でも自然科学の発達の歴史で多く見られました。そのたびに私たちは人間(神)を再定義することで、それらのクライシスを乗りきってきました。古くは「それでも地球は回っている」といったガリレオ。「人間はサルから進化した」と言ったダーウィン。

 有史以来、私たちは、その時代に与えられた人間と神の枠の中で生きてきました。この世に生を受けること。死ぬこと。病気になること。どうしても避けることはできないものもあります。そしてあきらめざるをえなかったものを「神」として、神聖なものとして定義してきました。再生医療はその領域に踏み込む技術なので、倫理的な問題が常につきまとうのです。


細胞を用いる医療とその可能性